前ページから続く 人生振り返って

   母の好きな人
 大家さんの息子さんが復員、部屋を空けなければならない。父が運送店のとき働いていた人の家に間借りする。移ってから玉子買い儲からないので玉子買いやめる。その頃から母は夜出かけるようになる、知らないおじさんが泊まるようになる。その頃から姉は家を出て独立する。
 おじさんは良い人だ何かと面倒見てくれる、私は「おじさんおじさん」となつく、おじさんの家は男の子がいないようだ。こんなひと部屋が落ち着く様だいつも「ここが一番だ」母のお酌で酒を飲んでいる。この頃から近所の人方母の悪口をいうようになる。私は気にしなかった、私達親子が生きられる、早く中学校を卒業したかった。

  恋やぶれる
 中学二年就職組、進学組と分かれる。この一年お金になる事なんでもやった農家のはたけ仕事なんでも働いた。昭和二十六年・永い三年だった!ヤット卒業。
 街の建具屋に住み込みで働く、月五百円の小遣い(今のお金にして二万円くらい)母に五百円持っていくと「貯金しておけかあちゃん大丈夫」受け取らなかった。

 建具屋に働いて一年過ぎた・・・建具屋前の娘さんに恋をする。工場から娘さんが出勤するのが見える、話をするきっかけがない。
 八月帯広河畔で花火大会があるトラックで見に行く荷台に乗る、娘さんが乗ってくる。隣に座る!胸高ぶる・・・
 花火大会が始まる、花火どころではない、予想もしない事だ何を話して良いものか言葉にならない。この事がきっかけになり恋は十倍に膨らむ・・・
 思いあまって気持ちうちあける、何を言ったか覚えていない。彼女は「私に好きな人がいます、ごめんね」膨らんだ胸が破裂!
翌日貯金をおろし町を飛び出す、登別温泉に行く。

  初体験
 登別地獄谷に飛び込もうと思ったが勇気がない!やめて最後だ!
あるだけのお金使って旅館に泊まって死のうと薬局で眠り薬
(ブロバリン)を買う。温泉に入る気にもならない、料理は喉を通らない。薬を飲もと思ったが旅館に迷惑かかる・・・
 夜になるが眠れない眠り薬は死ぬ為に買ってきた『待てよ俺はまだ女を知らない知ってから死のう』温泉街にでる当時は温泉街に売春宿があった、中小路の飲み屋に入り飲めない酒をちびりちびり『俺は死のうと思っているのにこんな処に』最悩まされていると、三十過ぎた美人ではないが着物を着たやさしそうなおばさん
「お客さん二階で飲まない」?声が出ない!おばさんは黙って徳利、つまみを持って二階に上がる。おばさん着物を脱ぎ布団に入る、初めての事どうして良いのかドギマギ、さっきまで死のうと思っていたのに死ぬのを忘れオロオロしている。
 おばさんは母のからだに似ている「おばさん」「おばさんって言はないで」怒るがやさしくなる母と同じ身体「子供いるの」


「二人、旦那は戦地に行ったきり帰ってこない」と黙り込むが、私が何もしないでいるから「あんた失恋したのでしょ」私は黙るだけ、貸しきり時間が来る。
「五百円」前払い(一時間五百円だったと思う定かではない今のお金にして二万円位)行動しないから気の毒に思ったのか「又明日おいで」?何も出来ない自分が情けなかった。旅館に帰り寝るが寝れない、おばさんの事が頭一杯!死ぬ気忘れている、温泉に入る、気が楽になる、二〜三日寝ていない、ぐっすり寝てしまう。
 
 朝早く起きて温泉に入りもう一晩泊まって帰ろうと何も食べていない、腹が減ってきた、温泉に入り何かしら落ち着いた死ぬ気なくなった、朝ごはん食べる・・・仲居さん『このお客さん変だ』と気づいたのだろう警察に届けたと思う「ごめん下さい」仲居さんと刑事が入ってくる、刑事すぐ睡眠薬瓶取り上げる封を切ってない刑事安心する。お母さんから捜索願出ています明日誰か向えに来ます待っていてください」
「私はもう大丈夫です明日帰ろうと予定しています、ご迷惑をおかけしました」心配そうに刑事帰る。

 私は気も身体も疲れ果ておばさんの事など忘れぐっすり寝てしまう。翌日母の好きなおじさんが向えに来てくれたおじさんは「若いときはこんなな事もあるさ」理由を聞かない「お母さんが心配している帰ろう」本当のお父さんのようだ。
 あのおばさんに会わなかったらどうなっていたろう、生涯の思い出です。

  母の転機 
 帰り汽車の窓から外を眺め『親から貰った命、大事にしなければ心に誓う』。
 建具屋に帰れず母の元に帰る、母は台所で後姿がさびしそう「おまえどうしたの」黙る「明日建具屋に断って来るからね」私の気持ち察している。
 おじさんは「わしの所にも建具屋はあるそこで働け」と仕事の世話をしてくれた。おじさんの町に行くが、母も故郷を捨て一緒に来る。
 
 親戚の目が耐えられなかっただろう(おじさんの事)私は住み込み、母は二間の家に住む、町の食堂で働く弟は釧路で働いている、母は子育て終わりおじさんの世話を受けている、本当に良いおじさんだ母はおじさんを好きなようだ私の父に似ている、妻子がある母はおめかけさん・・・
 
 母はなりふり構わず子育てる意気込みは母を誇りに思っている。
 おじさんの世話で建具屋で働くが何かしっくりしない、親方は何かと母のことを聞く(嫌な親方だ)。休みに釧路へ行く、釧路は景気が良く仕事もある新天地ここだ!兄が事業を始めた、母をつれに来た、母が心配で母の家に行く窓を見る、おじさんと話をしている、母は下をむき寂しそう!入るのが悪い帰る。

 
 あの時は別れ話だったと思う!妻子ある男性好きになったのだから仕方がない。
 私ももう大人母の気持ち分かった。それからしばらくして母は兄の所で働く!
これ以来母は女を捨て死ぬまで兄のところで働く!女の一生です。
 母と兄は、母の念願の自分の家、会社を築く・・・
母と私の親子関係は八人姉弟の中で一番苦労させた事だろう。

  放浪のたび
 放浪のたびといっても職業を転々と変えた事です。
 建具屋の親方は私を違う目で見るおじさんの義理で私を雇い入れた何となく解った。
 おじさんに釧路で働きたいというと「お前もか」おじさんは寂しそう「親方知っているのか」「明日言うつもりです」
「そうか頑張るのだぞ」「おじさんありがとう」おじさんの目は
真っ赤、それ以来おじさんと合う事はなかった。
 翌日親方に「母が心配で家に帰ります」とごまかす。親方は母の事情知っているから了解してくれた、俺も世間慣れしてきた。

 釧路は前もって仕事を見つけておいた。当時はまづ食べること、住む所が先、決めてあった。住み込みでお菓子屋の配達とお菓子の下ごしらえだ。配達は菓子製造工場から売店の往復、お得意様の配達太陽の下で働く、私にあった仕事だった。お菓子製造の仕事が忙しくなり手が足りなくなる、工場に回される。

 朝五時起床、ボイラーを焚き、職人さんが来るまでに下こしらえをする。八時になると職人さんが出勤、工場は忙しくなる、下こしらえの女性と一緒につくる気があっていないとはかどらない二人がひとつになる事が多い、彼女(愛ちゃん)に仕事教えてもらう。
 働いているうち後ろに目がある事に気がつく、菓子職人が愛ちゃんを好きなようだ、愛ちゃんは二十才美人、私より一つ上、私は失恋の痛手まだ癒えていない、そんなところではない!
 
 ある日昼食後、資材の数が気になり倉庫に行く愛ちゃんも走ってくる。愛ちゃん「あの人ひっつこくて嫌い」職人の気持ち分かっているから「給料がいいからいいしょ」「給料ではない」
 私を見る目が潤っている、一年半もいると、下ごしらえ、二人汗水流し、手が触れあう事もあるが!倉庫にいるとまずい、倉庫を出ると職人目がキラリと光る。
 恋愛相手、職人さんもいることだし、考えたこともない・・・

 菓子職人になるのには七年以上かかる。
 この仕事俺にあっていない、職人の目気にして働くことはない。社長に(菓子職人)正直に「私はこの仕事あっていない辞めさせて下さい」社長「誰でも始めはそう思う貴方は手先が良い、良い職人になれる辛抱しなさい」と言ってくれるが!
 一年で羊羹練、生菓子の餡練り、焼き物の下地つくり、愛ちゃんのお陰だが、部屋に閉じこもった仕事はつらい一ヵ月後辞める。

  
  蒲鉾製造業で働く
 母の従兄弟の叔父さんは蒲鉾製造業、人出が足りない腰掛で働く事にする。二十才これで良いのかと思いながら働く自分は何に向っていけば良いのか、わからない。そのうち何かが見えて来るだろうと、運を天にまかす。
 蒲鉾製造業もお菓子と同じ朝四時起床、ボイラーを焚き、叔父さんが起きるのを待つ。叔父さん蒲鉾の下地、練り製品の調合、これは叔父さんの味、私は見ているだけ、誰も手をつけない、独自の味、皆様が買ってくれる。
 蒲鉾の下地が出来た頃、職人さんが出勤、蒲鉾の製造がはじまる、板付き蒲鉾、ちくわ、天ぷら蒲鉾が出きる。私は釧路駅に行商のおばさんが来るので注文取りに行く、スーパーのない時代、天ぷら蒲鉾は良く売れた、注文をとり、工場まで急いで戻り注文の蒲鉾を箱に詰め又駅におばさんに渡す、これが私の仕事。

 昼まで蒲鉾製造、昼から魚下こしらえ、魚の身、水にさらす冬は辛い、夏は魚がいたむ、仕事は午後三時に終わる、大変な仕事だが何も考える事もなしに働いた。

 一年何となく過ぎる、私の転機が訪れる、私には因縁見たいのが憑いている。蒲鉾職人女中さんに恋をする、それはうすうす感じていた、彼はおとなしいく無口な男。昼休み彼は青白い顔している
「どうしたの具合でも悪い」と聞くと「死にたい」一言
「どうして」黙っている。私は経験者彼の気持ち分かるが私は若い、なんとアドバイスして良いのか言葉が出てこない!
 翌日彼は仕事休む、二〜三日と無断欠勤、親の家に電話するが帰っていない。叔父さんに「捜索願出して」お願いするが「そのうち帰ってくる」とはねのけられる。

 五日目函館連絡船から訃報が来る、津軽海峡に飛び込み自殺。
彼は女中さんを好きだったが女中さんは嫌いだったらしい。私はすったもんだの末、生きるを選んだ、彼は死を選んだ!私は若い、これをきっかけに叔父さんと口をきかなくなった、たまたま母が遊びに来る。母は叔父さんと仲が良い私の話しが出たと思う「兄が仕事忙しい手伝ってくれないか」と持ちかけられた、母の助け舟、辞めるのに丁度良いきっかけだった。
 兄の所で働く事にする、ブロック建築は重労働、

 当時北海道農業改良の時、小さな開拓農家は副業に牛を二〜三頭飼うようになる。それにサイロ、牛舎を造らなければならない、国の補助も出ている、兄はサイロ建築の下請け十勝の山奥で電気もない所での作業、陽が登って陽が落ち、仕事終。
 兄は働き者タバコも吸わない一生懸命働く私も負けず働いた。建具屋の仕事が役に立つ二週間の仕事十日間でやった。あの一年間儲かったと思う。
 この仕事夏場だけ冬は失業保険、兄の家で何もする事がない、娯楽もない兄嫁と二人っきりになり事もあるこれはまずい友人の所に行くがマージャン負けることが多い。
 こんな事をしていては駄目になると思い札幌に出てみる。

  門 出
 日本は発展途上、札幌は田舎と違って目にするものは何でも新鮮に見える俺の住む所はここだ!
 運転手募集の看板目に付く新しい運送会社、運送といえば父がやっていた仕事だ私の天職!
 ここに就職決める。帰って兄と相談するが始めは反対するが許してくれた、布団、竹行李、手提げ鞄を持って札幌行く。
 札幌駅に着く『五月晴れ』私の門出、何か見えてきた。

  小型運送会社に入る
 小型トラック運送会社の入社手続きを済ませ、明日から会社だ。下宿を紹介してもらう、会社から歩いて五分便利が良い。はじめての一人部屋の生活、今までは住み込み屋根裏で四〜五人の共同生活、雲泥の差だ。私に光当たりだした。
 翌日下宿のおばさんの弁当作ってくれた、すぐ会社、会社の看板まぶしかった!
 社長からの訓示「車一台あなたが管理する大事に使って下さい」中古だが自分の車だ『よろしく』と車なでる。

 奥さん配車、今日の仕事は長沼町まで鉄の大きな煙突の配達。奥さん気さくな人だ「そこに地図あるから道わからなかったらもって行きな」気を使ってくれた。
 鉄工所に行くが煙突デカイ、どうやって積むのだ!クレンで積んでくれた「向こうにもクレンあるから心配するな」と教えてくれる。長沼町捜して煙突降ろす、帰ろうとすると「この荷物札幌まで.運んでくれないか、いつも半額だから宜しくな」札幌で荷物降ろすが。三千円くれる、俺の給料一万二千円だ、帰り運賃、?知るよしもない。

 会社に帰って奥さんに事情を話し三千円渡す、奥さん私の顔まじまじ見る?・・・同僚にこの話すると「この様な時は運転手のよろくだ」と笑われた。こんな事何度もアッタが必ず届けた。
 仕事が慣れてきた、酒の問屋の仕事が多くなる、酒問屋の仕事は慎重な運転を要求される(後でタクシー運転に役に立つ)酒瓶を割ると自己負担、給料から引かれる。半年で新車くれる。新しい会社増車していく、今年は三十台、運転手予備を含めて三十五人。
 古い運転手は私をねたむが一歩会社を出ると自分一人帰れば何人
 か同僚がいるが気にならない、ねたまれても気にならなかった。

 配達中死にそうになった事がある。二月厳寒期、石狩方面に
酒問屋のセールスマンと酒満載、配達と集金に行く、
 昔だから渡船で石狩川を渡り、小売店に酒を降ろし、帰り風が強くなる、富岡と八幡の中間の所で吹き溜まりに合い、車動けなくなった。セールスマンは「今日中に帰らないと会社心配するから歩く」と降りようとする体にまとうもの何もない「車の中で吹雪くのを待ちましょ」と言うが「八幡まで行く」と歩き出す、冬道の怖さ知らない様だ、五分過ぎた、私は心配になり歩いてみると、吹雪で先が見えないこれは大変、きっと行き止まっていると思い車に戻り座布団を被り探しに行く二百メートルのくらいの所で、

 うずくまっている。背負うように車にヤット戻る、車の中は暖かい、十六時薄暗くなってきた吹雪は収まったきたが車は吹き溜まりで動かない、小型車ではどうする事も出来ない。
 田舎道、車はまったく通らない(当時は除雪体制が悪かった)
「燃料あります車でねましょ」寝る段取りしていると、後ろからライト、車が来たトラック大型だ、吹き溜まり掻き分け来る
『助かった』牽引してくれるよう頼むが「走るだけヤットだから無理です八幡まで乗せて上げます」と便乗させて貰う。
 八幡の旅館に落ち着く、セールスマンは会社に電話、私も奥さんに電話「旅館代こちらから電話するから心配しないで車の事もこちらで手配するから、事故でなくてよかった」と心配してくれた。

 セールスマン「命の恩人です」二人並んで床につく。
翌日大型四WDのトラックで牽引してもらう。
 あの頃は石狩方面は冬は難所、気をつけないと、この様な吹雪にあった。現在は除雪体制もそろい大橋も出来車の通りも多く大丈夫です。何日かたった、酒問屋から金一封貰う、セールスマンあの時死ぬかと思ったそうです。

  電気会社専属運転手になる
 二年過ぎる、真面目さがかわれ大手企業の電気卸会社の専属運転手に回される。
 ここまで来るのには会社に認められなければならない、同僚の羨望の所です。電気会社の宣伝の入ったライトバン乗用タイプ、服装は背広ネクタイ、大手企業と同じ服装、生まれて始めてネクタイ締め方、何度も練習した。奥様は「楚々のない様に頑張ってね」と励まされる、学歴のない私を見てくれる、この会社に骨を埋めると心に決める。電気会社の仕事はサービス部門(修理)

 この会社は自家用を持たず全部チャター車。サービス社員を乗せて電気製品に欠陥があれば北海道中修理して廻る、運転だけで良いのだが、修理アンテナ取り付け私の出きる事は何でもやった。慣れてくると小売店など社員と間違えられた。共聴アンテナ設置の時は服を着替え社員と一緒に仕事をやり社員だった。
 小樽に電気会社出張所が出きる。
 
 奥さんに呼ばれる「今度小樽に電気会社の出長所が出来ます、そこは販売専門です、所長は本社のから来ました、小樽に転勤して下さい」びっくり「この大役勤まりません」と辞退するが「貴方しかおりません社長命令です!小樽の会社の三階一部屋空いていますそこで自炊して下さい」会社命令!
「誰でも行かされないの!事務所、二階の倉庫の管理もあるし、貴方は身なり決まっている、自信持って頑張って下さい」と転勤命令。
 母がよく言っていた『男は身なりが肝心!びしっとしていると心がしまる良い服を着れ』といつも言っていた。背広は注文で仕立てた、喪服は八十一才現在でも着ている、四十数年経ってもびしってしている服地が良ければ末代物だ。
 

 大型ルートバン新車、所長を入れて八名の出張所、皆さん事務
ベテラン良い人ばかり、所長さん若いが歓迎会を開いてくれた。
 自炊、鍋、コンロ買うのに女子社員手伝ってくれた、三階に住まいを構える、倉庫の中を通っていくのが難点。
 所長、独身、下宿をしている、先ず所長の送迎、朝八時迎えに行く、九時半頃車に電気製品を積んでセールスマン(コンビになる)小売店に卸販売に廻る。販売に廻らない時は配達五時を過ぎ所長を下宿に送り会社に戻る鍵を掛け事務所倉庫を見回り三階も倉庫、マイ部屋は?角に十畳ひと間に着くここに来てからは本当に楽だ。給料一万五千円、白黒テレビ五万円の時、会社から三万五千円月賦で買う、俺もテレビ買える様になった退屈しない様になった。
 炊事は、お菓子屋、蒲鉾やの仕事が役に立ち苦にならなかった。

  結婚の話
 大手の電気会社の仕事をしているから社員だと思っているらしい、同僚は次々と結婚する。俺もそろそろかなと思うようになる。二十五才結婚の話持ち上がる。
 田舎の小売店、年に二回の特販日製品を積んでコンビのセールスマンSさんと小売り店に泊り込み販売今日は田舎のお祭、店の前は人通り多い、この小売店子供のいない夫婦で経営している、私が店に立つと、養子に来たかと間違えて「!!!さん」浜弁分からないからニッコリ電気製品の説明「婿さんの顔立ててテレビ買うか」
「いやいや婿さんではないよ」と言うが一台売れた、店主を呼びに行く泡を食って契約。取り付けはお手の物すぐアンテナを持って、取り付けに行く。昼までに帰ってくる「早い早い」と喜ぶ。店でSさんテレビ一台売る、昼取り付け、お祭だから一ヶ月の売上げ一日で上げたと店主喜ぶ。
 
 今日は小売店に泊まる、店主とSさん酒酌み交わし、店主酔ってくる「内の養子にになってくれないか農家に良い娘さんがいる世話するよ」奥様は生け花、和裁の先生「良い娘さんがいる世話するよ家に来て」Sさん「良い話だ養子に入れ」酔った機嫌で勝手なこと言っている。翌日昼まで大売出し手伝う、奥さん帰りに『昨日の話し考えて下さいね」手を振って分かれる。

 一週間過ぎて配達に行く品物を降ろし帰ろうとすると「掃除機届けて説明もお願いします」と頼まれる、農家の大きな家、娘さんが出てくる「掃除機届けに着ました」使い方説明するが何か変だ説明聞いていない一方的に説明「ありがとうございました」と帰る。
 店に戻って「品代月末に払いますと言ってました」帰ろうとすると「あの娘さんどぉ・・・」「綺麗ですね」「気に入った」?あれ!見合い!奥様本気らしい「ありがとうございました」
 
 逃げるように帰る。養子だけはごめんだ、なんと返事したら良いか、今度行く日、憂鬱だ。何日かして配達に行く、奥様「あの娘さん貴方を気に入っているよ話進めるよ「ちょうと待ってください私給料少ない結婚どころではないです」奥様「家にくるから関係無いです」一方的「実は好きな人がいます」奥様がっかりした顔
「そうですか」悪い嘘いちゃった『心で誤る』。

 次の配達生け花の日、娘さん五〜六人お花生けている奥様「家に来るとお嫁さんより取り見取りだよ」品物扱いだ。将来婿さんに生け花を教え後を継いで貰いかったらしい。私の骨を埋めるのは会社だ!小樽に来てから一年になる会社は何も言ってこない。車一台預けて何も会社管理しないのかと思う事がある。
 給料は小樽の会社通して支給、販売会社売り上げが多いと別に上乗せしてくれる。社員のお父さん洋服仕立て屋さん、上乗せのお金で四季の洋服四着つくった。販売会社仕事で札幌に来た時運送会社による、奥さん「元気でやっているかい」顔を見るだけ仕事も車の事一切聞かない社長さんは奥様に任せっきり
 何も言わない販売会社の上乗せ金打ち明けるが「それは貴方のものです運賃と関係ありません貰っておきなさい販売会社から聞いています、事故だけは気をつけて下さい」心の荷消える。
 あれ!車の私用も報告されているのかな!所長は倉庫の管理までさせている悪いとビル管理会社に頼む。ヤット倉庫から開放される、会社の近くのアパートに移る。

 大家さんは女性、世話好き、販売会社の社員だと思い見合いの話持ってくるが運送会社だと分かれば自然消滅、破談になる。親が反対するようだ、あせらないそんな話は御免だ。
 
  運送会社の倒産
 小樽出長所も忙しくなり自家用車が入る、私の仕事も楽になる。チャター車高いが使ってくれた。所長は電気の仕事できるので採用したかったのだろう。運送会社は増車増しで手広くした。経営に行き詰まり破綻する小樽の車も引き上げになる。所長「これきっかけにうちに入って仕事をしてくれ君のために良いのでは」と言ってくれたが、会社が心配「札幌に帰ります」所長は送別会をしてくれ、社員一同記念に銀のネクタイピンを戴く今でも取ってある。
 小樽は青春だった、楽しい思いでたくさんあります。小樽転勤した時は荷物少なかったが帰りはルートバン満杯財産増えたが。車は色あせた時の流れだ。
 
 札幌は小型運送業が増えた過当競争、お客さんの取り合いだ。事務所につくまで何も変わらない「只今帰りました」知らない人が二人社長机に座っている会釈する、二人とも察していたようだ横の机に社長と奥さん「こちらが専務さんと常務さん」紹介される、新しい上司「よろしくお願い致します」挨拶上司二人「こちらこそ宜しく」笑顔の良さそうな上司ほっとする。

 社長は下を向き黙っている、奥さん「この運送会社**会社が引き継ぎます、これからも変わりません仕事はそのままです心配しないで働いて下さい」専務、常務も「今まで通り働いて下さい貴方の事は聞いています」社長は事務所を出て行く寂しそうだ・・・「アパーとに荷物降ろしてきます「今日は休んでも良いです」常務「明日から家電修理サービス部に行って下さいお願いします」今度から奥さんの配車ではない気をしき占める。アパートは会社の近く荷物を収め部屋が狭くなる、二間いるなと部屋見渡す。

 



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