お客様を乗せて
  
 はじめに 
ハイヤー会社に十三年働き、昭和四十九年個人タクシーを申請、昭和五十年個人タクシー認可、三十年間個人タクシー営業、色々な出来事がたくさんありました。タクシー乗務してから私の性格変わりました。平成十八年一月譲渡申請・五月廃業。私のタクシー乗務人生終わる。思い出しながら・・・お客さんを乗せてを綴って行きたいと思います。字抜け・誤字・文の誤りなどあります、気がつき次第直していきます大目に見て下さい。
 生れる
深夜十二時頃『もうそろそろ上がろうか』会社に向かう。荷物を持った男女二人手を上げる、ドアーを開ける「どうぞ」「北大病院急いで」「はい」と走る「うんうん」奥さんりきんでいる「お産ですか」旦那様「そうです」「い・た・た生まれる」叫ぶ「何人目」「三人目です」これは早く生まれる、病院まで二十分はかかるだろう「がまんして」我慢できるものではない旦那様に「入院の仕度しているのでしょう」
「北大病院に電話しました」。車の中でうまれると頭横切る旦那様に「生まれるかも知れないからビニールを敷いてその上にタオル敷いて」「どうするの」怪訝な顔「ここで生まれるかも知れないから段取りだけでも」ここで救急車呼んでもすぐは来ない生まれてしまう、生まれたらなんとかする、母が弟を産んだ時の事を思い出す。又産気「も少しで病院です」病院に着く医師、看護婦玄関まで待機しているヤレヤレ間に合った。
荷物を運ぶ、産室まで来ると赤ちゃんの泣き声、旦那様が廊下で「生まれました」「間に合って良かったですね」
「タクシー料金三千五百円です」五千円札出し「気持ちですお釣り良いです」タクシー乗っていると、この様なチップが貰える、誠心誠意尽くすとお客さんはおつりを置いていく。あの時のお子さん、もう大人になっている事だろう。

 
 交通事故
深夜十一時過ぎている。お客様を乗せたあと帰り道、郊外川沿いの堤防を走る。右側土手から這い上がる人がいる、フラフラと立ちあがり手を上げる『酔っ払いかな』と思い徐行する。
 顔から血を流している『これは大変』と車を止める「済みません病院まで」「さーどうぞ!どうしたのですか」?「土手の下に落ちました」下を見ると車が突っ込んでいる「目が見えない」目から血が流れ、メガネ割れている。
 救急車を呼ぼうと思ったが近くに電話がない、私が病院に運んだ方が早いすぐ発進、タクシー備え付けの当番病院の表を見て病院に向かう。三十分はかかるだろう、目が傷ついている様だ、お客さんに手ぬぐいを渡し「顔を下にメガネをさわらぬ様にして下さい」と注意。意地の悪いものだ信号赤、周りを見渡し安全をを確認、信号無視四〜五回二十分くらいで病院に着く。
 病院に事情を話しヤレヤレひと安心。座席が血で汚れている、真っ直ぐ車庫に帰る(あっタクシー代貰っていない)救急だからメーター機倒すのを忘れた。
 売り上げそこそこ上がっていたから『まあいいか』車庫に帰り車を掃除して帰る。
 翌日明け番、休んでいると怪我人のお母さんが尋ねてきた「昨夜は本当にありがとうございました」お礼「対応がよかったから失明にならなくてすみました」頭を深々「タクシー代です」封筒を差し出すが「緊急でメーター倒しておりません宜しいです」というが無理やり「気持ちです」とくれる。
 帰ってから封を開ける三万円が入っている、明日還しに妻に言うが妻は「失明寸前だったから嬉しかったのでしょう戴いた方がよいよ」今でも『気持ちのお金が』こびりついている。『気持ちってお金かな?』『お金かも知れない!』
 
 
 出来事一こま
  色々な事たくさんあります。
A・若い女性のお客さま二人乗車、前に自家用車が走っている、突然前の左ドアーが開く女性が転げ落ち倒れる!急ブレーキ止まる、自家用車はスピード上げいってしまう。
 私は車から降りて「どうしたのですか」抱き起こす「何でもありません」起きて歩き出す。身なりも良い、美人、何で走っている車から放り出されるのか?私のお客さん「運転手さん格好いい映画見てるようだ」昼間だから良いが夜だと跳ねられるかも・・・

B・深夜十二時半しばれる、ススキノから酔った女性乗車、アパートに着く酔って寝ている「お客さん着きましたよ」起き様としない肩に手をかけ揺らす「どこをさわる警察にいうぞ」いつもの事「料金戴いておりません」ハンドバック投げ「そこに入っているから取って」ハンドバックを目の前に置き「料金戴きますよ。これお釣りです」目の前に見せ財布に入れる、腰が抜けている降りられない後ろの席に行って抱きかかえる様に下ろす。
 雪の上に座り込む「部屋に誰かいますか」「誰もいない独り者」この寒空帰るわけにもいかない「部屋どこですか」「二階の真ん中」この階段どうやって上がる背負うか、又何かいうな深夜誰も通らない覚悟して「おんぶするから肩に」今度は素直におぶさってきた。階段フラフラしながらヤット階段上がる。さっきまで警察だといっていたくせに1今度は鍵「ハンドバック」にない「財布でないの」財布の中にあった。玄関に座り込む「立って」立てれない前から抱きかかえる(老人介護の時前から抱き抱えるのが楽)ほっぺたぴしゃりたたかれる「何するのだお客さん酔って立てないでしょ」さすがの私も怒った口調になった。少し酔いが冷めたのか「ごめんなさい、ありがとう」なんだこの女・・・玄関に押し込めドアを閉める「鍵かけて」ばか者、俺を誰だと思っているいるのだ(ああいた・・・)ほっぺたほてる。
この様な似た事何度もありました。タクシー運転手は会社の看板背負っている、何かあるとすぐ分かる、酔った女性が一番困るお客様です。夏だと降ろしたまま行きます。


C・タクシードライバーは酔っ払いの介護は宿命の様だ。女性だと何とかなるが、男性だと始末に終えない、家が分からなくなり、ぐるぐる回りだすメーターは上がる、トラブルになります。
 私はすぐ交番に走ります、たいていの人はおとなしくなりますが、ひどいのになると「この運転手遠回りしている」と訴える、常習犯だから警察官は「家まで一緒に行ってあげます」同乗、家に着くが、この前を2回も通っている、奥さん出てきて「本当に内の人困ったもんだ」カンカン「運転手さん済みません」と料金をくれる、お巡りさんに「何時も済みません」と謝っている。これはタクシー運転手のサガです。

D・一番気をつけなければいけないお客様は、ススキノの一部のホステス。
 酔っ払っているふりして「歩けない玄関まで手を貸して」「ありがとう入ってお茶でも飲んで行かない」ゲスな運転手はすぐひっかかる。
 料金は貰えないホステスの店へ飲みに行かなければならない嵌めになる。あとはお決まり・・・

E・やくざ風の男二人乗車、すぐ赤信号「何故行かない」「赤信号です」「まだメーター倒しておりません」次の信号又赤止まる「お前ふざけているのか!急いでいる行け」「それは無理です、私の運転気に食わないですか!気に食わなければ降りて下さい!料金要りません」ドアーを開ける(乗車拒否にならない)「なんだこの運転手馬鹿にしている」降りてドアーを蹴る。降りて「警察呼ぶぞ!」大声!一目散に逃げ出した。私は暴力団には毅然としている。
 この仕事に入ってから覚悟して仕事してきた、何も怖くない。一度チンピラに説教した事がある、後ろで取立の話をしている「やくざはやくざらしくしなければ駄目だ」「どうやればいいんだ」「やくざの映画見ているかい、人情・義侠・映画のように、高倉健なんか本当に格好よい、あのように行動すれば良いのだみんな見直すぞう」「映画の見すぎ」馬鹿にされ降りる。

 やくざの親分は運転手には一目置いている。すすきのの繁華街はやくざの稼ぎ場、変な事をしていても運転手は見て見ないふり、逃げる時もタクシーのお世話になる、タクシーは切っても切れないつながりだ。
 今すすきのは清浄化クリン作戦など綺麗になっているが、人が集まらなくなって来ている、繁華街は暇になりタクシーも空車が多い。
 暴力団も中心から離れ近郊の繁華街に移って行く、タクシーも近郊で稼ぐ事になる。
 タクシーは水商売と言われる由縁である。

F・目の見えないお客さん区役所のタクシー乗り場で、市の職員車椅子に七十才近い男性乗せてくる。
 ドアー開けるが「どうやって乗せる」と思案「こうやって乗せれば楽です」車椅子の前に行き立たせ私の肩に手を上げてもらい、相手を抱く少しずつ後ろにずらし座らせる足を入れ終わり。
 区役所には身体障害者が来る、職員に教育してほしいものだ。
 
 お客様は緑内障で目が見えない足も悪い「新聞も見れない、テレビも見れない、楽しみはないです、死んだ様なものです」と嘆く「公園があり青い屋根がの家です」すぐ分かり玄関に行く「呼び鈴二回押して下さい」押すが「誰も居ないようです」「買い物に行っているのかな、運転手さんもういいです」といわれるがこの寒空玄関において行くわけには行かない車に戻り話をする。
 子供達は本州で暮らしている、夫婦二人の様だ。
 十五分くらいして奥様が帰ってくる「何やってんだ」怒っている喧嘩しているが仲が良い夫婦だ。

G・親の様子を見に四十才過ぎた姉妹二人「**シルバーマンショウンお願いします」東京に嫁いで親が心配で年に二〜三回来る様だ。
 一軒やに住んでいたが体が弱りシルバーマンショウンに入ったそうです。入居しても人との付き合い付き合いの苦手の人は一〜二年で出て行くそうです。
 「東京からだと飛行機代大変ですね」「東京で親と住む事は出来ません、シルバーマンショウンに入っていると安心です」将来を考えるとシルバーマンショウンは良いが(月額十五万以上かかるらしい・・・考えされます。)

H・小別沢トンネルの幽霊
 タクシー会社にいた頃、昔は車が一台ヤットと通れるトンネルでした。
 (運転手仲間の話)雨がシトシト降る真夜中福井側トンネル手前、女性ススキノまで乗せる。途中信号で停まる、後ろに人の気配がないバックミラーを見る頭が見えない座席を見る誰も居ない。
 車を止め座席を確かめる座席は濡れ、傘のしずくが・・・の話聞かされた事がある。
 私の経験
 やはりそろそろ帰社疲れてくる、豊平川堤防を走る十九条橋の信号で停まる、フードかぶった女性「すすきのまで」と乗車中島公園あたりで人の気配が無くなる後ろを見ると乗っていない?変だ?思いこしてみる?腑に落ちない十九条橋まで戻ってみる見ると等身大の工事用の写真の様なものが立っている。あの時は疲れボーットして乗せた心算で走っていたと思うが!メーター倒していた。疲れからくる妄想!!でも雨降り傘をさし、人けのない田舎道、女性が夜歩いていると、よくバックミラーを見るが!見える時は良いが!見えない時はもう一度見る・・・

 三十七歳頃の出来事
タクシー会社に勤務している時の出来事。
ふってわいた様な出来事で、自分の運命を左右する事があった。
 夜薄野を流していました、先方にアベック、なにやらもめている。突然三十才くらいの女性助手席にに乗り込んでくる「どこでも良いから走って」「どこでもよいといっても」困惑するが「堤防走って」堤防を走る女性は黙って下を向いたまま「真駒内ですよ家はどちらですか」尋ねるが返事がない「行き先分からないのは困ります」「北へ行って」広い駐車場でユータンお客さんを落ち着かせるのにここに停める。
 「お客さんどうしたのですか?さっきの人とうまく、いかないのかね」よせばよいのに諭す、黙ってうなずき泣き出す。
 駐車場でよせばよいのに人生論。女性は上の空で聞いている!
 女性何を勘違いしたのか肩を寄せてくる!すると首に抱きつき唇を合わせ唇かまれる、噛まれているから、どうする事も出来ない動けば噛み切られると思った。女性がふと離れ私の顔を見ている、彼氏と違う思ったのか、酔いが冷めてきたのだろう。怪訝な顔して「北二十五条へ行って」今自分が何をしていたのか分かったのだろう。
 二人黙っているが、私は穏やかではない、この女性暴力団の女ならやばいと頭かすめる。女性黙り込んで何も言わない。北二十五条に着く「お客さん二十五条です家どこですか?」「ここで降ります」降りてしまった。(家教えたくなかったのだろう)
 家に帰ってから大変、私の態度が変だ妻の顔がまともに見られない、唇に血豆が出来ている「その血豆なにさ」「唇噛んだ」とごまかすが「そんなとこ噛む分けない」正直に結末を話するが信用してくれない。それから半年冷たい戦争。こういうものは時が解決してくれる。
 一番心配なのは暴力団、半年過ぎて何もない良かったが何時も気にしている。
 女性忘れかけた頃、中心外れた一流銀行の所流す銀行員の女性四〜五人歩いている忘れもしない、あのときの女性が居る!ああ暴力団でなくて良かったひと安心、気が晴れる。

 女性の事忘れ一年たった頃偶然、デパートから乗車「どうぞ」「北二十五条」あの時の女!私はなにも言わないつもりでいたが、釈然としないものが込み上げる冷戦半年!「一年前すすきのから乗った事ありませんか」尋ねて何もいわない私はしゃくにさわって「銀行に勤めているのでしょう」女性びっくりヤット口を開いた「あの時酔って何がなんだか分からなくなって貴方にご迷惑お掛けしたのでしょう」と謝る「今は銀行辞め結婚しています」心配そうに私の顔を見る。
 「そうですか良かったですね。あの時の事覚えていなかったのですか」「覚えていません」(あれは幻だったのか!)それ以来遇う事は無い。
 あのお客さん七十才越えておばあちゃんしている事だろう。たくしー会社にいた頃の、三十七才頃の強烈な出来事・・・

 
 懐かしい人 平成十六年一月一日
チャゲ&アスカコンサートツアーに來札、元日に会う。昭和五十二年頃、新婚旅行で私の車で道東観光されました。それから年賀状のお付き合い、お子さんも一男二女のお父さん、お母さんです私も歳を取った実感する、ホテルから駅まで案内する。


時計台 明治11年建築
お子さんも大きくなって
北海道庁 明治21年建築 北海道大学前
大通り公園テレビ塔をバック 釧路空港で懐かしい写真が
出てきました、皆若い。

 2時間の観光、だがいつも会っている感じでした。 年賀状の交換でも人は付き合えるものだと考えされる。 今回の来札で一番、約にたったのはパソコンです。 お二人は聾唖の人です。 メ−ルで思考、交通事情、天候、観光コ−スなどを、すぐ伝えられる、今回の来札でパソコンを覚えて良かった実感する。お二人頑張っている、幸あれと祈る。                  

 
 冷たい夫婦
駅前ホテル九時二名予約。ロビーで待つ、今日はどんなお客さんかな・・・と思いながら、立派な紳士が近づいてくる、お客様と思い「Bさんですか」「そうです」奥様らしい人が黙って外へ出て行く?何時もの挨拶行程名詞を渡すBさんからも名詞を戴く、大手の会社の部長さん四十才くらいかなと見る。
 荷物を持って車にいくが奥様らしい人はいない。「Bさん奥様は」「先に行った筈だが?」周りを見ると道庁の方に歩いている、道庁は観光コースに入っている。
 「呼びにいってきます」「ほっとけ」そんなわけにはいかないので呼びにいく。
 美人で気品がある似合いの夫婦だ。

 駅前〜大通り公園〜時計台、お二人は写真撮らない?「新婚旅行ですか」「そうです」「写真撮らないのですか」「もう歳だ写真はテレくさい」奥様横向いている、道庁に着くだんな様「お前見たいんだろう見て来い」会社にいたらこんな調子なんだろう。奥様降りて一人で行く「Bさん見学は」「何度も北海道に来ている見なくとも良い、あれは北海道はじめてだが」降りない
 「奥様にご説明します」行こうとすると
 「行かなくても良い」これは相当な亭主関白だ!十五分立っても帰ってこない「迎えに行ってきます」道庁の階段の所にいた、興味深げに見ている「古いもの好きですか」「はい」「今日は温根湯温泉泊まりです見学する所たくさんあります、ここはこのくらいで」車に戻るが旦那様横見て怒りもしない。
 今回のお客様気を引き締めなければ!止める所では、どちたか一人降りる、二人一緒に降りない「ここは十分」と言う具合時間を切る。昼食も好き勝手、旦那様和食、奥様喫茶店でトースト・コーヒーというぐあい、こんな夫婦もあると、わり切る。
 層雲峡の滝にきて景勝地の良さ知ったのか二人降りて見る方が多くなる。
 奥様に「流星の滝から銀河の滝まで歩道があります歩いて見学して下さい銀河の滝で待っています」旦那様と銀河の滝で待つ奥様いないので変な顔している。「奥様ここまで歩道歩いてきます」旦那降りて写真を撮っている、奥様歩道から上がってくるが知らん顔。「二人入って撮りますか」「いい」あっけなく断れる。
 温根湯温泉に着く今回は疲れる。

 二日目・今日は川湯温泉泊まり。
お昼まで昨日と同じパタン、このお二人私のペースに乗ってこない、昼食は和食の美味しい店がある。二人とも健康そうだ食べる方は大丈夫、今日は昼食の場所私に任せている。「オホツク定食頼んで下さい」と念を押すヤット一つのテーブルで食べている。二人とも真っ赤な顔して出てくる。
車の中で「美味しかったでしょう」二人とも清々しい顔だ(美味しいと言えないのかな・・・)二人とも良い家庭に生まれ苦労も無く育ったのだろう。
 婚期を逃したものの同士の結婚ではないかと勘ぐる。
 摩周湖も、旦那さま第三展望台、第一展望台ばらばらに観光二人で歩くの恥ずかしいのか歩くの少ない。川湯温泉に着く

 三日目・今日は然別温泉泊まり。
今日も同じパタン、阿寒湖で観光船に「景色が良いから」といって二人をしゃにむに乗せる。
 奥様口を聞かない人が「まりもきれいね、売っているのですか」「天然記念物だから売っていません売っているのは養殖の小さなマリモだけです」
 奥様は本当に綺麗だ北海道に来てから生き生きしている、旦那様もやわらくなった。
 然別湖に着く湖畔に誰もいない静かで波も無く天望山が湖に映り唇の様に美しい。二人ならんで見ている、これは珍しい説明なしに離れる。
 
 四日目・千歳空港送りでコース終わり。
朝七時半、朝食に行くと旦那さまだけ奥さんが見えない「奥さんは」「五時半ころ出て行ったきり帰ってこない」私は行き場所が分かった、昨日対岸の遊歩道を説明したからそこだ「対岸歩いていますよ」「それなら良いが」と心配顔、今日は十一時までゆっくり九時車掃除にいく、旦那様外にいる「まだ帰ってこない」
「私迎えに行ってきます」車の行けるとこまで行く歩いて三十分登山口がある?まさか!登山?あの靴、ドレス!それはない。
 湖畔道相当入ってきている、先に人影!いた!ホットする。
「景色が良く花が一杯咲いている知らないうちに入り込みました。静かで良い所ですね」「千歳まで間に合いますね」「千歳空港十七時です間に合います旦那様心配していますよ」「心配するわけないです、仕事一点張りで自分本位の人だから」(自分はどうですかと問いかけたいがやめた)奥様先頭に無言で歩くスポーツやっているらしく歩くのが早い、ついていくのがやっと奥様何か言わなければとぽつぽつと語る。
「二人とも一人っ子です、世間しらずです」私は歩くのに大変、黙って歩く「私は親の元で暮らして来ました、親に言いなりに結婚しました」やっぱり道が悪い返事が出来ない、奥様何か言って欲しい様だ、ゆうっくりになる「好きな人いなかったの」間をおいて「いたけれど家族持ちでした」「私達どういうふうに見えます」何と言ってよいか黙っていると「気悪くしないから何でも言って」とっさに「典型的な日本的夫婦です」といったすると足早にどんどん行く見えなくなった(悪い事言ったかな)思いながら追っかける。
 今日は天気良い湖面が朝もやが立ち込め、青い水面に水鳥、先を行く奥様立ち止まる、水面を見ている(美しい絵になる)美人は得だ奥様に思った事そのまま「奥さんそこに立っていると、美しい絵になります」というと自信があるのだろう微笑む「その笑顔忘れないで下さいね」走るようにいく。
 私は疲れて休み休み車人戻るが奥様ホテルに戻ったのだろういない。
 旦那様に怒られると思いきや、二人仲良く買い物。
 自分で世間知らず認めているから『まあいいか』昼近くなったので軽く食事して千歳に向かう。
 千歳空港に着いて別れる時、旦那様平然と会釈、奥様、にこりと手をふる。
 (良い笑顔だ)この夫婦駄目かと思ったが良い夫婦になるだろう(日本的な)この度は疲れた・・・
 
 親の介護
A・八十才くらいの女の人、タクシー乗ろうと不安そうに私の車見ている徐行してドアーを開け「タクシー乗るのですか?」コックリうなずく、それでも乗らないで私の顔見ている、このお客さん運転手の品定め?気がつく!やさしく「どうぞ、乗って下さい」ヤット信用したのか乗ってきた。
 「どちらまで」もじもじして「もう一人乗るのですが良いですか」と不安そうに私の顔を見る「いいですよ」家の前に着く五〜六分待つ、来ないので迎えに行くとプラスチックの橇に荷物、荷物かと思ったら人が寝ている。ビックリして橇を押さえ手伝う「おばあちゃん熱があって具合悪いの」八十才のおばあちゃんがいう、体重のあるおばあちゃんヤット車に乗せる、あとからもう一人乗る、八十才姉妹のようだ。
 走り出しておばあちゃん何時もの道違うのか「道違う」九十才は越えているだろう「おばあちゃんお歳幾つですか」付き添いの八十才の娘さん「百三歳」ビックリ「二人で介護しているのですか」二人黙り込むお母さんに悪いと思ったのだろう、悪い事聞いたと思いながら走る。お母さんは元気な様子、付き添いの姉妹の方が疲れている様だ。

 「帰りは介護タクシーがあるから頼んだ方が楽ですよ。お迎え料金無料ですから」と教える、永年介護しているから分かっていると思うが、そのつど忘れるのかも知れない。
 病院に着くヤット信用してくれたのか「本当にお世話になりました」とニコリ。この老親子の行く末案じる・・・他人の事より自分の事の方が心配だ。平成十六年の話

B・地下鉄から乗車、女性のお客様十二〜三年前からのお得意さん。
 定年で乗る数少なくなった、お母さんも時々乗って下さる。
 お母さん「娘は定年になってからメッキリ体が弱くなってきた、今までは私の介護、今度は私が娘の介護だ」と途方にくれている
「嫁に行かず私にのために独身、本当にすまない」と涙ぐむ。
 最近二人の姿見えない。平成十八年の話

C・五十代の女性乗車「個人タクシーだから信用して、お願いしますが、私の母、病院つれて、待ってもらって又家まで戻って下さい、面倒ですが良いですか」「いいですよ」「じゃお願いします、私これから会社なので宜しくお願い致します。」福祉チケット二枚と千円「何時もそうしてもらっているの」とくれる「お金宜しいです」
 「少ないが待ってもらうからあつかましいがお願いね」足早に地下鉄乗る。
 (この様なお客さん時々ある慣れている)お母さん手をふる仲の良い親子だ「お母さん幾つ七十五才です時々ふらふらして血圧高いので病院にクスリもらいに行くのです、宜しくお願い致します。」
 病院に着く待合室に座らせる「車心配だから又来るね」看護婦さんもなれている「終わったら知らせます」四十五分くらい待つ、看護婦さん連れてくる「今日は早かった待ったでしょう」車に乗せ、家に着く手を貸し玄関に入るが、ふらふらして上がれない「私入ってもいい」「大丈夫一人で行くから」行くが倒れそう!上がってささえる茶の間にベットが見える、きれいに整頓されている、ベットに寝かせる「何時もありがとう」「私はじめてですよ」?「色々来るから誰だかわからなくなる」(だれか専属の人だろう)それからしゃべりだし帰してくれない。
 心細いのだろう、旦那さんに五十九才で先たたれ娘と二人暮らしている様だ。
 「娘にすまない、私のために結婚も出きない」泣き出す「お母さん元気でね」鍵を閉め鍵をポストに入れ、お昼どうすのか心配する。七十五才なら俺とそんなに違わないのに・・・平成十六年の話

D・私の行く末の見本の夫婦。
このおばあちゃんとは十年以来のお得意さん。十年前おばあちゃん七十八才、元気良い、アパートからスーパーから三百メートル歩いて一週間分の買い物してタクシーで帰る。八十三才の旦那様を看ている、息子さん本州にいる様だ。
 おばあちゃん八十五才頃から腰が曲がってきた、三百メートルの道を休み休み歩いている。タクシー乗り場までの途中の家、遭ったらスーパーまでメーターを倒さないで乗せていく。帰りは時々乗ってくれる五百円玉一つ、コーヒー缶くれるから高いものになる。
 スーパーから男性荷物一杯抱えて乗車「近いが」と住所「九十才と八十五才のお年寄りの家ですか」びくりして「なんで知っているの!」「何時も乗ってもらっています」おばあちゃんの話をする「親父、頑固で本州に来ないので困っています」こぼす。おばあちゃんは「息子の世話にならん」何時も言っている。
 
 それから二年たつ、おばあちゃん乗るが荷物少ない「今日は買い物少ないね」「じいちゃん死んだ」と溜息、この溜息色々含んだ苦労の溜息、十年も見ているからわかる「息子さんの所に行けばいいしょ」「いや息子の世話にならん」相変わらずだ。
 二〜三月乗らない?アパートの表札変わっている。
 私の行く末うつる・・・介護とタクシーは切っても切れないつながりです。この様な事があると、この仕事してよかったと思う最近介護タクシー増えています,良い事だ。
 平成十七年暮れの話

E・茶髪の女性
 十七時、もう上がり時間、家まで約一時間かかると流しながら帰る。
 茶髪の二十才位の女性乗車「すすきのまで」ここからだと料金上がる、今日はついていると思いながらすすきのに向かう。
 お客様は茶髪、今はやりの服装、「お客さんの服可愛くて今はやりですかですか」とおせいじをいう「私はこんな服着たくないが、店で着る事にになっています、しかたなく着ています」「おじさんも本当は好きでないしょ」と話がはずむ。
 「あたしじいちゃん子なの!今まで爺ちゃんから小遣い貰っていたが死んじゃった」「幾つで亡くなったの」「九十二才!爺ちゃんの看病楽しかった、両親働いているから、わたしが看なきゃならないの」「えらかったね」「何でもないさ、ご飯を食べさせトイレだけで風呂はケアーに頼めば入れてくれる爺ちゃんは色々な事を教えてくれた物知りだったよ」「若いのに良くやっるなあー感心するよ!息子の嫁さんに欲しいよ」「わたしまだ結婚しないよお金貯めて外国旅行へ行くのが夢です」グアム島、台湾の話してやる「最初はそこへ行く!わたし頭が悪いすすきので働くしかないさー」「一生懸命働けばお金たまるよ頑張れ」「うん頑張る」ススキノに着く、ビルの中に消えていく・・・

 心付け
前回、気持ち・チップ、の話しました今回は心付け、同じようなお金だが。景気の良い話これを一つ。道東三泊四日のコースを受け千歳空港へ迎えに行く、どんなお客さん来るか不安だ。お客さんの名前の書いたお迎え板を見せ空港出口に立つ、着いたお客さん少なくなる誰もいなくなった。便を確かめる、間違いない空港の職員に聞く「中で用事足している人もいますからもう少しお待ち下さい」杖を突いた八十才近いご夫婦、ご主人足が悪い様だ自分名前書かれている安心したのか荷物台に座り込む。奥様に怒られている
『この様なお客様だな』と三泊四日の行程頭かすめる。この様なお客様何度も案内している。空港出発、旦那さんは話が好きだ案内しやすい『良かった』奥さまは熨斗袋を
「この度は宜しくお願い致します。」差し出す心付けは素直に貰う事にしている「ありがとうございます」と戴く。
 昼食の時間「お客さん何か食べたいものありますか」「北海道はそばが旨いと聞くがどこかありますか」「滝川名物手打ちそばがあります」そこに寄る「私も一緒に食べる奥様用事たしている時、旦那様熨斗袋差し出す
 「さっき奥さんから戴きました」「あれとこれとは違う、わしの気持ちだ家内に黙ってくれ」ポケットに押し込まれる。
 層雲峡に着く明日の行程を説明、一日終わる。ドライバー専門の旅館に泊まるが心付け気になる開ける、奥様から二万円旦那様から一万円これは貰いすぎ、足の悪い人の手を貸すのは当たり前の事です。明日から歩かないコースを選ぶ事にする。

 二日目・ご夫婦早くロビーに座って休んでいる。「昨日はたくさん戴いてありがとうございました」だんな様口に指当てている。昼食網走、昼食は運転手の腕の見せ所「運転手さん美味しい所あったらどこでも良いですよ」「和食で良いですか」「よいです」食べ終わって車に戻る「運転手さんのいわれたの食べました、美味しかった久しぶりに旨いものを食べました」奥様うなづく旦那様又熨斗袋ポケットに押し込む帰ってから北海道のお土産送ろうと思っていたから素直に「ありがとうございます」旦那様嬉しそう。
「定年まで仕事仕事で旅行などした事がなかった七十五才まで仕事尽くめでした。この度は本当に着てよかった」奥様涙ぐんでいる、日本人特有の見本だ。「明日は阿寒湖泊りです早く着きます、寄り道をして、ひかり苔・鮭の遡上見ていきませんか」お二人二つ返事で知床に着く。

 

 三日目・知床五湖は歩かなければ見れない所、知床自然センターで知床の四季を映画で見てもらう。
知床五湖廻りを車で説明時間が余るので羅臼廻りで行く。知床峠は紅葉が始まりすばらしい景色。
 ひかり苔は奥様だけ歩いてもらう。鮭の遡上は旦那様は橋の上から見てもらう、奥様は河原まで降りる、群れをなして遡上する鮭、遡上に説明するが聞いていない、はじめて見る遡上、目の輝き(私はそれを見ただけきてよかった)阿寒の途中、多和平牧場による地平線が丸く見える。
 生牛乳を飲む「うまい旨い」の連続牧場を見て「すごいすごい」と見渡す「本州にない風景だ」
 今日は何時もと違う、コース外だから、奥様が「今日は本当に良い所をご案内良いものを見せて戴きました」熨斗袋うっかり「何時も戴いて」・・・言おうとしたがだんな様目パチパチ「ありがとうございます」ごまかす。
 
 四日目・最後のコース札幌まで
途中二風谷アイヌ史料館による、たまたま萱野茂館長がアイヌの説明、アイヌの歴史に感激。
札幌に着く「札幌は大きい街ですすね」奥様驚く。ホテルに着く前に二万円を出し、「このお金一万円お世話になっている病院の先生に、私達北海道のお土産分かりません運転手さんにお任せしますから送って下さい」二万円預かる。
 明日の予定を聞くが知人と会うらしい。千歳まで送るつもりでいたが四日間のお礼を言って別れる。我が家に四日ぶりに帰る妻に心付けの話をする「この様ない客さんはじめてだね」「お客さんにお土産頼まれた、良いもの見繕って送って」と頼む「病院の先生に二万円お客さんに二万円」妻はそんなにというが「貰いすぎ半分返すよ」妻も納得。
 次の日頼まれたお土産4万円買って買いごたえあったのだろう満足そうな顔。お金は幸せを呼ぶのかな?
 しばらくして伏見の灘の酒一本一万円相当の酒三本送ってきた。手紙には「私達夫婦楽しい旅行が出来ましたありがとうございました。北海道のお土産、病院の先生、喜こんでおりました」と書いてあった。この酒は旨い一人で三本開けた久しぶりに旨い酒にありつけた。ありがたい事だ・・・

 サラ金地獄
地下鉄から乗車「手稲前だ」「どの道を通って行きますか」「新川通りで」「分かりました」朝一番のお客様、幸先良い私と同じ年代だ。「ヤット桜咲いてきましたね」と時候の挨拶。ラジオでサラ金のニュス「大手もあくどいね・・」お客さん「内の息子闇金に借りて金利が膨れ五百万越した」「五百万円ですか」「消費者センターにいって三百五十万したよ、若い者は困ったものだ」「サラ金依存症という病気だそうです」「内の息子は病気か?」「お客さんが肩代わりしたでしょう」「息子がかわいそうだからなあ・・」「親が肩代わりすると依存症は治らないそうです又同じ事を繰り返すそうです」「これで二回目だ」「サラ金会社は安易にお金を貸しますから困ったものですね」
「この病気は本人が自覚しないと治らないそうです。親の面子、子供は親の弱い所をついて親が払ってくれると思って借りるそうです、子が借りる、親が払う悪循環です」
「運転手さんは真に迫っているね」「私も同じ事やっています、お客さんの気持ち分かりますよ、心を鬼になって対処しないと解決しないそうです」話をしているうち前田に着く「運転手さん勉強になったありがとう」サラ金地獄は多くある、親は気をつけましよ。
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