北海道観光案内
札幌市内観光 札幌(人口 平成19年・189万人) |
札幌(サリポロペツ又はサチポロペツ)芦原が広大な川
又は、乾いた広大な川、豊平川を指す。 旧地名に、察幌、幸洞、幸幌、などがある。
札幌の誕生300年前から、石狩川の川口や豊平川の川口に和人がアイヌの人達と物々交換するために来るようになった。 その後、和人が石狩川の所々に住む様になった。
そのころ今の札幌あたりの小川、発寒川、伏古川、琴似川などの 石狩のサケ場として大切な所でした。秋になると人が大勢住む様になった。 開拓当初から都市計画、つくられた道路は碁盤に区切られ、街路樹は計画的に植えられ印象深い都市です。
☆ 札幌のアイヌの人達
和人が住み着く迄の札幌には
4~5軒の集落が点在。発寒、植物園、北大、元町、などにあっただけです。
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安政4年、早山清太郎が田畑を開く。 慶応2年、大友亀太郎「大友掘り」をつくる(今の創成川)札幌~小樽間、当時道が悪く大変でした、 小樽~石狩~茨戸~札幌を川舟でむすぶ様にし、明治13年鉄道が敷かれるまで大切な道でした。
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☆ 北の都
(明治政府)明治2年、エゾ地を開く役所として東京に「開拓使」をつくる。函館に「開拓使支所(出帳所)」を置く。
まず地名(北海道)次に、開拓使を置くまちを決めなければなりません、早くからエゾ地探険していた 近藤重蔵や松浦武四郎は、北の都は札幌がよいと考えていました。 色々な意見を取り入れて、 北海道開拓の中心地として、札幌に開拓使を置く。
安政3年、その時の名は、島
団右衛門(義勇)藩主鍋島斎正の密命を受け蝦夷地探索に来ている。 (隠密)五稜郭、御台場、ロシア人、アメリカ人の活動など情報蒐集。 明治2年、開拓使は(鍋島直正開拓長官)蝦夷地に詳しい判官島義勇に最初に街づくりをさせた。
☆札幌の街づくり
明治2年10月に箱館から銭箱につき
そこで札幌の土地のようすを調たり色々な準備する。 南大通り4丁目のあたりに仮事務所を建て11月1日、島判官が札幌に入り札幌開府のための測量に着手。 札幌1丁目1番地ともいうべき場所
南1条1丁目ビルの角に「札幌建設の地碑」がある。
その横に「そうせいばし」の石柱ものこっている。
のちの岩村判官、町割の中心をこれにならった。
東西の起点は明治14年6月、創成橋が基線と定め、南北は 大通りを基線にすることが標されている。
街づくりは、冬にめがけて始まったが島義勇は九州佐賀、 冬のことは何もしらない、寒さの中での工事、色々な事があって1年分の予算を3ヵ月で使いはたし、 島判官は辞めさせられた札幌の街づくりは中止した。
島義勇は東京に帰る。 明治3年、黒田清隆が開拓次官になる。
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☆明治4年、岩村通俊
島判官の後を受け継いで札幌の街ちづくりを始める。今の様な、ごばんの目の区画は、島 義勇、岩村通俊判官の、 北の都の思いを京都に似せてつくったといわれている。 その後明治6年、松本十朗が引き継ぐ。
☆屯 田
兵
黒田次官の意見を入れて、明治8年屯田兵をつくる。
琴似、山鼻発寒、新琴似、篠路に入り開拓。 山鼻は、240人の中隊を西屯田、東屯田通りに入り、割り当てられた土地を、家族と一緒に開墾。 当時の建物は、今は残っていない。南11条西9丁目トーフ屋さんの入口部分一部が残っているだけです。
☆大通公園
ここは、札幌のまちづくりのはじめに火事を防ぐために造られました。 島
義勇は京都で再三大火に遭っている開拓当時の建物は、かやぶきの家が多かった、火事になるとあっという間に 燃え移った。道巾が広くとり火事を防ぐためでもあった。 明治34年公園として使う事になり、明治44年までには、 木も植えられ散歩する道もできました。 大通り公園、巾105m長さ1、200m。
☆テレビ塔
高さ147.2m・展望台 90m。 現在テレビの放送はしていない。
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☆札幌市の除雪予算
平成12年度157億円。 車道除雪は5千kmに及ぶ。 明治36年、札幌市の除雪予算は150円であった。
当時は、米10k1円の時代。 明治初期屯田兵村では、90cm巾の雪を踏み固めたそうです。 かって大通公園は、札幌市公認の雪捨て場でした。
馬そりで都心部の排雪が行われた。
☆ 聖 恩
碑 昭和11年大演習の時、昭和天皇をお迎えした記念に建立。
☆ 雪まつり
長い冬を元気に楽しくすごそうと、始められたのは昭和25年でした。 このときは、六つの雪像が、高校生や中学生の手によって
つくられました。 大きさは3~5mほどでしたが、珍しいこともあって、5万人もの集まった。
☆ 北海道大学(札幌農学校)
全国一の敷地、原始のままの大木、北海道大学は一名
エルムの学園とも呼ばれております。 明治5年開拓指導者を養成する目的で東京に「開拓仮学校」を設けたのが始まりで、 これを札幌に移し、札幌農学校とした。
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☆ 明治9年、札幌農学校として創立。
初代教頭として、ウィリアム、クラーク博士が招かれた。現在、北海道の大学で、只一つの総合大学。
12の学部があり、先生がおよそ1800人、学生が1万人もいる。総面積、67,400ヘクタ-ル 構内、160ヘクタ-ル
☆
ポプラ並木、
明治36年、農学校がここに移って
初めて植樹され長さ250mに51本植えられた。 当時のお雇い外国人の「望郷樹」でもあります。
ライラックも北星学園の創始者、クララスミス女史によって移植されたものです。
☆(古河講堂、明治43年、建築)
古河電工の寄付によって建築。
☆ 学部本官、明治34年、建築。
☆清 華 亭 (北区北7条7丁目)
明治4年(1871)岩村判官の命で、札幌初の公園「偕楽園」が造られ、清華亭は明治13年6月、この偕楽園に 貴賓接待所として建てられ、木造和洋折衷の建築。黒田開拓使長官が「水木清華亭」と命名、現在昔の面影は 残されていませんが、当時のまま保存されています。
☆旧永山武四郎邸(北海道指定 有形文化財)
明治10年代前半、屯田事務局長時代の永山武四郎が私邸として建築したものです。 明治前半期の本道における
上流住宅であり、近代住宅史の重要な建築物。 私邸から永山武四郎は馬車に乗って道庁へ立派な帽子をかぶり風格と威厳があったと云われている。
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旧北海道開拓使本庁舎
明治6年、開拓使本庁舎、木造二階建が竣工(赤レンガ庁舎の北にあった) 煙突の不備から明治12年1月17日の火災で焼失。
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旧北海道庁本庁舎(国指定重要文化財)
赤レンガ庁舎ネオ・バロック風 明治21年、白石にあった レンガ工場の レンガ約
250万個を積上げ、内部は高い天井大きな窓、扉など重厚な つくり、正面階段の真紅のじゅうたんは、高級官僚しか踏むことをされる 権力の象徴あった。
総工費19万円余、5年前の鹿鳴館の工費を上まわる。 上のドームはアメリカ東部の州議事堂にならったものです。
3年がかりで建てられました。
レンガの赤からの連想は 「暖かみ、躍動」又、冬の白に映える。
岩村通俊が3年がかりで建てたが、元老院に転出してしまい、 夢に描いた新庁舎の完成を見届けることができなかった。 赤レンガの愛称で親しまれている。
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☆時 計
台
北大の前身、札幌農学校の演武場(兵式教練の場)として明治11年に 建てられた。 建築当時、北2西2中通り南西角にあった。ビルの 入口の中に「演武場跡」の碑がある。 明治36年まではこの周辺に 札幌農学校があった。1906年(明治39年)現在の場所に移転高さ20m。 当時は開拓と警備を兼ねる屯田兵制度が大規模に繰り広げられた時期で、 米国マサチューセッツ農科大学の兵式訓練が取り入れられた、 学生たちはここで、毎日訓練を重ねてました。
明治14年、ボストン市ハワード社から時計をとりよせて取り付けられて から時計台と呼ばれる。始、終業を知らせると同時に、離れたところに 住む市民にも時刻を知らせる役目もありました。 この時計は振り子時計、鳩時計と同じ仕組みで、動力には重りが 使われている。 台のおもりは、豊平川の玉石を木箱に入れたもの。
運針用で約50kg、打鐘用で約150kg、おもりの巻き上げは、週2回、 今も人の手によって行なわれている。 路の、井上時計店が親子三代で 巻き上げ、時間合わせ、修理している。 時間合わせは、文字盤の 小さな戸口から手を伸ばし修正する。 【演武場の題字は、岩倉具視が書いたものです】 |
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☆狸小路
狸小路の由来は、色々あるが定かではない、この通りにタヌキが居たと云う説があるが、本当は明治のはじめ頃に 一杯飲屋があり、首に白粉をぬった娘が、冬は首に真綿を巻いて、綿入れのうわっぱりを着てまるくなって、 客引きをしていた事から狸小路の名がついた。美しい女性に誘われ飲み歩いた翌朝には、狸に化かされ財布が カラになったと俗説(白首はタヌキの俗称)約東西1キロ間に商店、娯楽場が昔300軒あったが、 今は不景気で閉店している店が多くなってきた。
☆ラ-メン横丁
ラ-メンを食べて札幌を語れ・・・ 今ススキノにラ-メン横町は新、旧と二ヶ所あるどちらが美味しいか貴方しだい・・・
☆中島公園
天文台、コンサートホール(キタラ)文学館、文化施設がある。 百花園、日本庭園が造られている。
☆豊
平 館(見学入館自由、無料)
明治13年、中央区北1西1付近に官営の洋風ホテルとして建設、建築費6万円余、様式は、日・米・欧の 三種が入り交じっている、当時の技術の傑作である。明治天皇が最初の宿泊客となりました。 昭和32年に中島公園に移築され、現在は市営結婚式場として人生の門出を祝っている。 昭和39年、国指定重要文化財指定。
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☆北原白秋に歌われた
「この道はいつか来た道、ああそうだよ、アカシヤの花が咲いている」北1条のアカシヤ並木は、 明治16年、東京から移植したのが北海道の土地に合って成長し有名になった。
☆北海道知事公館
昭和11年、三井財閥の迎賓館として建てられた。
フランス人の設計イギリスチュ-ダ-王朝風の様式、 道産材が使われている。 昭和28年、知事公館となり、公式行事がないかぎり一般に解放している。 約1万7千坪の敷地には樹木約6千本が生繁る。
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☆北海道神宮
明治2年9月1日、明治天皇の勅命により、開拓3神が鎮斎された。 二代目開拓長官・東久世(ひがしくぜ)通禧(みちとみ)が開拓三神の御霊代を舟にて北海道へ渡り、箱館より 開拓判官、島
義勇が御霊代を背負い、札幌に入り、明治3年5月、仮の社殿北5条東1丁目に建て、 明治4年5月に札幌神社と社名が決まり、同年9月現在の円山に鎮座。 昭和39年北海道神宮と改称する。 (鳥居の横に三神の説明板がある・ここで杉と三神の説明する)
◆大国(おおくに)魂神(たまのかみ)
北海道の国土の神。
◆大那(おおな)牟遅神(むちのかみ)
大国主神と同神、国土経営、開拓の神。 ◆少彦名神(すくなひこなのかみ) 国土経営、医薬、酒造りの神。 ◆明治天皇
近代日本の礎を築かれた第122代の天皇。 40ヘクタ-ルの中に千本桜、(1400本)花見時期になると1日数万人の人が出る。 明治8年、福玉
仙吉が、島義勇の御霊を慰める為に参道に献植された。 島
義勇の功績を称え昭和49年10月神宮境内に銅像が建立された。
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☆旭山記念公園
円山と藻岩山にはさまれた丘陵地に、札幌創建100年を記念した公園です。 町並みを眼下に天望は抜群。記念の鐘、2㎞の散策路、噴水などがある。
☆藻 岩 山 標高
531mアイヌ語で(インカルシペ)眺望する山
世界の山で、この山と同じ気候この面積で樹木の種類が多いと賞賛されてから 有名になり大正10年天然記念物に指定。
☆テオドール・エドラ・フォン・レルヒ大佐。 明治45年日本で初めてスキーを伝えた。 オーストリアのテオドール・エドラ・フォン・レルヒ大佐が来道。 長い1本の竹製の杖を使って滑る姿を倶知安で披露した。 指導を受けた軍人や学生が、札幌で初めて藻岩山で、スキーをしたのは同年3月31日だった。 後世に
この歴史を伝える目的で毎年1月末頃、(藻岩レルヒ祭り)でレルヒ中佐や郵便配達員、 着物姿の女性、当時の服装を着て、1本杖の模範滑降を披露する。
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☆羊 が
丘 (標高260m)
ふつう「月寒種羊場」とよばれているが(農林省・農業試験場・畜産部)なのです。 明治39年種牛の牧場として発足したのが始まり。
羊を飼うようになったのは大正8年からです。 そのころから羊が丘と呼ばれるようになった。 面積約 1,100ヘクタール。
羊は、昔、2,000頭ほどいましたが、今は150頭ほどです。 この羊は草と家畜の研究のために飼われている。
展望台の近くには50頭ほどいます。 教会は札幌観光協会の結婚式場 2000年・多目的観光施設「羊が丘ウエディングパレス」が完成。 これまでに11,200組が誕生、半分は道外の人です。
二人だけで式を挙げるカップルもいます。 最低10万円位で式が出来るそうです。
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☆野幌森林公園
昭和43年北海道百年記念として公園になった。約2000ヘクタールの森林公園自然観察には絶好の場所。
☆北海道百年記念塔
(百年を記念して、高さ100m)
昭和42年、北海道百年を記念して、設計を全国の建築士に応募、26才~78才の 応募者299点の中から札幌市、井口健氏が選ばれる。雪の結晶の六角形をかたどり、未来へのたくましさと 協調性を表現。 全体は、エゾ松を表す・切れ目はカッタ-を表し荒地を切り開く・頭上の二本は開拓者の苦労を讃へ、 合掌をしている。 昭和45年9月、竣工。
☆北海道開拓記念館
歴史博物館・北海道の自然的生い立ち、先住民の文化から江戸時代の和人の足跡、北海道開拓の歴史が 総合的に展示されている。 面積12.150平方m地方博物館として最大級の規模と内容を誇っている。
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☆サッポロビ-ル工場 (北2東4)サッポロビ-ルの発祥地
ビ-ルは正洋風の飲み物で、イギリス、アメリカなどから輸入したものでした。
「ビ-ルを北海道でつくれないか」と開拓使は考え、総工費1億円をかけて、 明治9年(1876)、開拓使の官営工場として創業。ビ-ル工場は、道庁の時代に入ってから、 明治19年(1886)、民間に払い下げられ、現在のサッポロビ-ル会社になっている。
☆サッポロビ-ル園
サッポロビ-ル園のシンボル、赤レンガ1890年に製糖工場として建設された。 その後製麦工場になり、1966年、サッポロビ-ル園となる。 明治、大正、昭和、平成と歴史をついで一世紀余、レンガの煙突、外壁も当時のまま。
☆札幌芸術の森
彫刻家による作品を自然の中に配した野外美術館。
札幌にゆかりのある作家のコレクションした札幌芸術の森美術館、工芸館などがある。
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