平成18年7月21日 ユニットバス |
今までは手作りの風呂、はじめは小判型の桶、四角のポリバス、四角のステンバス、それなりの味わいがあった、ユニットバス入って見て綺麗で快適だが、ステン風呂の時は天井のカ−ルスストン私の自慢だった結露にならない、ユニットバスは換気扇を回さなければ湯げ結露がすごい!カ−ルスストンの天井が懐かしい、相棒はユニットバス満足だこれで良いか・・・
昨日は車庫の棚つくり大きな棚が出来た、あるもの材料で壁張、今までためていた材料少しづつ減っていく。 これが私の最後の日曜大工かもしれないこの50日間の大工仕事、足腕の間接が痛い、手がハレボッタイ、無理がきかなくなった、これからは気が向いた時にやるか・・・ |
平成18年7月20日 車庫が狭い |
建蔽率違反で車庫が狭くなった、車の工具、大工道具、材料一杯ある、小さいがプレハブの物置が来る、そこに余分な物を入れる何とか車が入りそう。 大きな棚を作り壁には釘を打ち工具をさげる・・・
IHのコンロ使ってみる便利だ!火力が強いお湯がすぐ沸く、ご飯も自動で炊けるらしい、性能は煮物、焼き物、揚げ物全部自動だ便利になったものだ・・・夜間電気のボイラ−お湯が沸いている今日風呂入ってみるか・・・ |
平成18年7月19日 美装や |
色々な仕事があるものだ要するに掃除だ・・・会社に居た時、年末仕事納めの大掃除、窓拭きが嫌だった。 美装やは色々な掃除の道具で綺麗に仕上げていく窓拭き床のワックス隅々まで綺麗になった、後は引越しだけだ日曜日が天気が良さそうだ・・・ 今日は北電、水道局が検査に来るこれで全部終了、約50日間のリホ−ムトラブルがなかったら40日で出来たろう!これも成り行きだ生きるには色々な事があるさ・・・何でも一生懸命当たれば解決する、私の信念だ!・・・
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平成18年7月18日
光ケ−ブル最後の工事 |
光ケ−ブル、工事中2回も切断、大工さんハリモノを触る様な工事・・・光電話、パソコン、工事終わるまで埃の中シ−トに包まれ、ここにいた、私の生きるカテの一つ我が儘を通して来た、大工さん仕事ヤリズラかっただろう・・・今日美装やが来る、掃除、ワックスかけで終わりの様だ・・・
私の仕事は来年まで残る!ゆっくり楽しみながらやるさ・・・ |
平成18年7月17日 棟梁の貫禄 |
リホ−ム社長、工事部長が来る、元棟梁、朝8時に来る。 社長、工事部長はここの所は気にしていた場所、元棟梁は直し方の説明し、工事部長は直して行く、大工は立てつけが曲がっているという事は職人として恥ずかしい事だ言い訳は言わず直す。 8〜13時までかかる元棟梁も最後まで監督する。
この手直しは土台から直さなければ直らない大仕掛けな工事だ、うるさい建主は直させるそうです。 見た目は真っ直ぐになった、元棟梁「これで勘弁して下さい」元棟梁の職人堅気、貫禄をさまざま見せてくれた感心する。
社長、工事部長、良い勉強になったと思う、悪いままでいたら私が死ぬまで言われた事だろう。 車庫の入口の立て付けも曲がっている、35年間今でも言い続けている、これは死ぬまでの語り草だろう・・・あの時の若い大工、今63才だ今も大工やているかな? |
平成18年7月16日 職人根性 |
昨日この工事やさんを紹介して下さった方が出来上がりを見に来た。 あれは良い!これは良い!と確認、今は大工の仕事引退している当時は親方棟梁を踏んできた人です。 この改築は変更々で進んで来た予定より内容が違う、ここも違う!ここも違う!ここは直させれ!と厳しい・・・明日呼んで直させる、今日は日曜日だ来るかな!!「こんな工事でお金もらえるか」と社長に文句!社長は職人上がりではない建主が良いと言えばそれで良いと考える人らしい!経費の問題もある・・・
私は、社長 工作した人に「作ってしまったから仕方がない、これで良い」と言ってしまう心は「職人だから直してくれると期待している」が引き上げた!その分値引きだと思っていた矢先だ・・・直したらこの工事やは良い勉強になるだろう・・・違う所はあるけれど「マアマア」な出来だ。
職人根性のある人は歳を取った少なくなった、仕事のやり方も変わった時代の流れだ。 土曜日引越しだ力のある札大生徒アルバイトに頼むか・・・ |
平成18年7月15日 システムキッチン入る |
システムキッチンが取り付けられる、値段は一番安いのを付けたが、今までの手作りの流しとは違う目を見張る。 昔の流し台覚えている人は数少ないと思う、今までは昔の流し台使いやすかった慣れるまで戸惑う事だろう・・・
居間と寝室の照明は新しいのを入れた、スイッチ一つで切り替えリモコンだ便利になった後の照明は今まで使っていた照明を使う、使えるものは使う私の信念だ新旧バランス悪い、トイレの両面器具、皆さん感心するこの器具今は売っていない。 かんじんな水、出ない今日来るかな?・・・ |
平成18年7月14日
一人でコツコツ |
クロス張り、塗装も終わり昨日は私一人で二階造作、大工さんに気兼ねなく仕事が出来る。 私のするところは一杯ある、外回り階段、玄関のタイル張り、二階の部屋の手直し今年一杯かかるかな?
今日は台所周りの設備の取り付け、待望の蓄熱暖房設置、今年の冬がどうなるか?断熱材たくさん入れた!私も立ちあっている大丈夫暖かいだろう、楽しみだ・・・ |
平成18年7月13日 めん取り |
大工仕事、木の削った後のめん取り(木の角を仕上げカンナで1〜2回ナドル削った所によるが)指物大工は親方がウルサク教えられ、身に沁みている家の大工は親方に寄るがそれを教えない。 玄関の上がり框のめん取りをやっていない、塗装やが来た、そのまま塗られたらササクレル、床も張ってあるめん取りズライ、朝からめん取りだ。 何十年もやった大工が後から取れば良いとそのままにしとく住む人になって何故出来ない。 職人根性の人が少なくなった、工作の方法も変わった、建材も自動カンナで削った材料だ、大工さんの仕事がなくなった機械工作、手仕事と言ったら自動釘打ちで「パンパン」丸鋸で「ジャン」だ!私が二階で手鋸で切っている音を聞いて大工さんは何かを感じたと思う!(切る音で腕がわかる)今の大工さんは機械の音でわかる、時代が違うか・・・ |
平成18年7月12日 リホ−ム前の家 |
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思い出の多い家、改築しのびないが老後考えると思い切る・・・
3回増築凸凹の家、リホ−ムは新築した様な家になります。 |
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平成18年5月22日
懐かしい古い辞令 |
引越しで押入の中を片付けでいたらタクシ−会社の入社から退職までの辞令が出て来た。 試用職員に採用するハイヤ−営業所自動車運転手を命ずる、月給金 12.500円を給するタクシ−手当て1.720円を給する。 昭和39年8月1日**観光株式会社と会社印を押した辞令が出てきた懐かしく見る。 それから年に7.000円づつ給料が上る。驚いた辞令が一つ。 ハイヤ−営業所指導運転手に指定する職務手当月額金 3.000円を給する昭和45年9月16日指導した覚えがないのに3.000円も貰っていた。
最後の給料 昭和50年4月1日 月給金 84.870円を最後に昭和51年1月31日 願に依り職員を免ずるまで12年余タクシ−会社で働く片付けるのを止めて辞令を眺める。 |
平成18年6月11日 「マイッタ!!」 |
我が家、リホ−ムも順調良く進んでいた。 突然!市の建築推進課が来ました。 今回はリホ−ムだから市の届けもいらないと工事をやっていたのだが・・・ 20前建蔽率違反と分りながら玄関から車庫に行く通路に物置玄関を届け無しに造ってしまった。 20年間気にしていた所です、工事ストップ!!改善命令!建築推進課に行って今後の方針を聞き明日から工事始まります。
悪い事は出来ないものだ、この改善命令で高い代償をしいたけられました。 20年住んでいてもリホ−ムの時は駄目です。 最近、耐震問題、建築の事色々世間を騒がせします。 市も過敏になっているのでしょう。 これから、リホ−ムしょうとする方お気を付け下さい。
老後の計画90才の計画を立てましたが、今回の代償で85才に縮めました。このたびの事で、今まで気にしていた事が無くなり安心して住める事でしょう。 71才の老人が、寒い壊した柱だけの骨組みの片隅で背中を丸めパソコン打っている姿、想像下さい。 でも、禍も福と為す・・・意味違うかな?・・・ |
平成18年5月3日
裏切り |
信じている人から裏切られる、裏切る方は人間として最低な行為だ。裏切られた方はまだ楽だ、裏切った方は一生悩むと思う。顔向けできないであろう。今は何かをするのにもお金だ、お金がなければ何も出来ない、他人のお金を利用して、うまく行けば良い、うまくいかなければ、そのお金は無駄になる。
裏切りにより私の顔は丸つぶれ、でも私は相手を信じている2〜3日中に必ず払いに行くと待ってもらう。人を裏切る金額ではない、裏切る方は大金かもしれない、する事はキチンとしないと自分が駄目になる。
裏切られると言う事は本当に悲しく寂しいものです、それも一番信じている人に・・・ |
平成年4月12日
マイホ−ム新築見積 |
先日ホ−ムセンタ−見学し、壁材・電化に魅力を感じ見積を取って見る。175u建ペイ率40%21坪しか建たない、車庫つきの我が家、私の換えがたい家全部壊される。見積書を見て予算オ−バ−、違う業者見てもらうが予算内で出来そうだが、これからの老後もある無理をしないで改築にする。
私が40年かけて内装、取り付け戸棚など作った所残す事にする。 大手建設会社の販売係りの人何回も家に来て見積をつくって来た。若いけれど私の予算内を一生懸命上司に掛け合いして下さいました。百万円という金額は大きい新築の夢は破れましたが、仕事のために一生懸命、掛ける姿を見てこの様な若者がいると、まだまだ日本は大丈夫だと思い知る・・・ |
平成18年4月10日
刎頸の友 |
友人の所に病気見舞いに行く、友人は4年前脳梗塞で倒れ半身不随。 病院を盥回し(友人が可哀相!わからない漢字にする)にされ見舞いに行くと「俺死にたい」と言う「死にたいと言っても動けないだろう」と言うと泣き出す。一緒に仕事で観光に行った時の話しをしてやる、思い出し嬉しそうな顔。友人は元気な頃「俺が倒れたら見舞いにきてくれ」といつも言っていた。友人の奥様は旦那様の言う事を聞いて家で介護をしている。最近電話をする「今行くから」奥さん「私、腕を折って、うちの人ホ−ムケア−に泊まっています」奥様と私の家内と一緒にホ−ムケア−に行く。一人部屋で設備は良いが、この様な施設に友人は耐えられないのだろう、人が変わったように「おぉい!おぉい」と大声でわめいている。
10分前にトイレに行ったのに又トイレ、痴呆症だ「家に帰る」と喚く私が見舞いに行った事が気にしている様だ「ここは地獄だ」と訴える。友人に諭す「奥さんの腕が治るまで我慢をすれ」と耳元で諭す、横を向いて涙を流す、つられて涙出る。涙を拭いて髭を電気カミソリでそってやる。
私達が来て疲れたのだろう横になり眠りだす。私達は帰るが「おぉい、おぉい」と呼んでいる。介護の人に「彼はあんな人ではなかった優しい人だったのですよ」言うと「病気だからしかたがないですよ」職業的だ。 痴呆症の介護は大変です、呼ばれても時間で介護するみたいです、おしめをしてあるからなのだ。友人は(地獄)と言うのがわかる、自分の体が自由にならない、喚くのがわかる。私が倒れたらあの様になるのかと思いやられる。奥様は本当に良く介護されている。友人は奥様を頼りきっている。早く腕の骨の怪我、治る事を祈る。 |
平18成年4月2日
オ−ル電化の家 |
豊平にあるマイホ−ムセンタ−に、オ−ル電化の家を見てきました。暖房は蓄熱暖房、水周りは電気温水器、IHヒタ−、この電化の家は老人向けの家だ、値段が少し高めだが、歳をとると忘れっぽくなる、火の心配が無くなる、ちょっと出かけるにしても、今までは火を消し、ガスの元栓を締めたが不安なので又確認何度もある。 床は全フロア−平らで段差は一つも無い。私が建てた時より建築費が10倍になるのがよくわかる。電化システムの家は、坪60万円ぐらいなそうです。値はある、マイホ−ムセンタ−にある家は部屋も広く豪華だ、こんな家に住んで見たいと今日は夢を見てきた。 |
平成18年3月31日
マイホ−ム |
昭和43年3月、私が設計、図面を書いた、我が家平屋建13.5坪の確認申請がおりた。素人が設計図を書く何度も市役所建築課にかよった。当時は土地も安かった60坪全部入れて63万円、15年月賦で買った。2年後ヤット我が家が出来るのだ。建築費も予算が85万円先ず親戚の大工さん一人頼む。当時のタクシ−会社は一昼夜交代、明け番の日は手伝う。お金が無いから基礎は昔の工法、玉石を並べブロックを積み基礎を造る。
親戚の大工さん「よくやるなぁ」と言ってくれる今思えば(本当によくやったと思う)私が基礎を終った頃、大工さんの方の切り込みも終る、建前だ(棟上)もう一人大工さんを頼んで妻と4人で棟上だ、3日もかかる。棟上に神主さんも呼べず、二合ビン一本とおつまみ、3日間手伝ってもらった大工さんよく働いて戴いた。親戚の大工さんの友人の様だ無料で仕事をしてくれた。集合煙突の積み込み工事。妻と二人で積み上げる、妻は子供を背負いブロックが重い妻は文句も言わず頑張る。
積み終わったとたん、大きな地震、煙突が大きく揺れ棟にぶつかる、倒れそう!地震が少し弱くなる急いで棟に上がりクサリで煙突を棟に縛り付ける。又大揺れ骨組みともぎしぎし揺れる、ただ呆然と見ているだけ、地震がおさまる、助かった。大工さん「基礎がしっかりしていたから倒れなかったんだ」と褒めてくれる。この地震は震度5だった。 外壁、内装と出来上がったのは8月中旬だった。親戚の大工さん儲からないのに建ててくれたその叔父さんも亡くなった。私の歴史が一つ消えた、私の生涯の思い出の人だ。これが私達の最初のマイホ−ム、自分が設計した家、皆んなに自慢した。私の友人に設計頼まれる15坪の家だ、今も健在で建っている。その後車庫も頼まれる。素人の設計2軒建っている。姉歯とも違うよ。昔の工法だから大丈夫。(100平米以内の設計は資格が無くてもよかった時代です)
昭和48年個人タクシ−の申請をする。車庫がないと駄目なようだ、車庫建設にお金が無い試験まで3年はあるそのうちに造ろうと、先ず基礎だ私の土地は道路から1mの土盛りをしている、頼めばお金がかかる。丁度、橋渡ってすぐ50m先に宅地造成している、そこに土を捨てる事、地主に頼む了解を取り、運ぶ。一輪車に土を積み明け番の日に何回も何回も運ぶ、私が仕事の日は妻が運ぶ雪の降る日まで運ぶ。
翌春、今度は基礎造り土を運んだ時に玉石が一杯出てきた。それを基礎に入れる、人手が無いからブロック積みの基礎が出来る。ついでに土留めにぐるりとブロックを積む秋までかかる。(昭和50年秋)個人タクシ−の試験、何かしら自信があった。お金の無いのは人間を強くする、妻がチラシの裏に出そうな問題を書く、それを次の日解く、自動車六法、運送法、車両法から妻が試験問題を作る。何回も模擬試験をやる。試験当日1時間早く行く大通り公園で出そうなところを読む、私が試験官だったら、こんなような問題を出すと思いながら読む。試験ださっき読んだところが出ている、妻が作った模擬試験もある。手が震えるこれを止めなければ駄目だ。
心を落ち着け、まだ車庫建っていないと考えたとたん手の震えが止る、それから30分アット間に書き終わる(受かった)と思った家に帰り妻に「間違いなく受かる」妻は「最後までわからない」とあっさり蹴られる(でも自信はあった) この時は稼ぎがよかったから、木造分のお金が出来た二階建てに部屋のある立派な車庫が出来る。12月会社に合格の通知が入る。家に勇んで帰る(念願の個人タクシ−)妻の喜びは大変なものでした。(昭和51年1月営業)若いから一生懸命働いた、2〜3年で家のロンを還す。昭和54年3月家のリホ−ム仕事が忙しい専門家に頼む。
頼んだが気に食わない日曜に、専門家の後を5〜6年掛けやり直す。取り付け戸棚、内装の張替え何でもやった。その家が平屋の時は地震に強かったが、増築後は地震に弱い構造だ(姉歯に似てきた)地震は50年周期でやってくるといわれている。札幌43年に震度5の地震だった、38年も経っている。5月廃業の予定だが、家も寿命だ妻と一緒に造ったマイホ−ム壊すに忍びない、私達の歴史だ!姉歯事件から気にしている。私も歳だ昔のように力もなくなった、自分での改築は無理のようだ。建築やに頼むと坪60万円だそうだ、(昭和43年の時の10倍)だ。地震の話になると、どこに逃げ込むかそんな話しばかり。マンションも考えるが38年住んでいた土地、離れられない思案中です。 |
平成18年3月27日
男の介護 |
昨日退職者交友会に出席して感心して帰ってきた。友人(73才)の奥様が脳溢血で半身不随(車椅子)になった。友人は家事はまったく駄目。奥様を介護して5年目、年一回の交友会を楽しみにして、奥様を介護施設に一周間あずけ出席。 苦労話を聞く、友人は酒好きだが介護している時は、酒を断つ、「酒を飲んで家内に何かあったら大変だ一滴も飲まない、今日は飲む」と言って、酔いがまわって
「うちのは俺に気兼ねして車椅子でトイレに行くが時々車椅子から転げ落ちて怪我をする」 と嘆く
「オムツが濡れているのに、何でもない、と言う触ると、ぐしょぐしょだ、取り替えてやると嬉しそうな顔だ」と夫婦愛の話し。
久しぶりに飲んだのだろう深酔いになる。「家内の食事を作るがはじめは料理の本を見ながら作る、今はヤット作れるようになった」と自慢げに言う、
「介護の人に頼むと、何でもお金、月まとめると相当な金額になるから自分でやるんだ」と胸をはる、お子さん二人いるが世話になりたくない様だ。私の年代は皆そうだ。私の家も友人のような結果になるのかなぁと思い、憂鬱な気持ちで聞く・・・ふらふらしながら部屋に着くが
「今日は飲んだ、来年も又来る頼むなぁ」と寝る。これからの日本はこの様な人方が増えるのでは・・・ |
つぶやき日記これから始まる。
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平成17年 春の、登山足馴らし山菜採り 5月5日坊主山登山の帰り、行者ニンニク(アイヌネギ)を採る。 たくさん採れたのでサット茹で一回分食べるだけラップで包み冷凍する。解凍していつでも食べられる。 |
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行者ニンニク(アイヌネギ)
今年は雪が多く山菜も7日前後遅い、5月29日青山一番川通りでウド、フキを採る。 今年は小ぶりのウド、フキでした。 フキ採りは中芽は採らない事,来年のために残す。 昨年残したフキが大きくなって今年もたくさん採れ塩蔵保存。 |
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今年もたくさん生って虫も入らず 良いフキでした。 |
青山開拓地区自然が戻りつつある。 |
青山開拓地区は離農をし今は自然に戻って笹、が生い茂りフキが開拓当時の畑にフキ、エンレイソウ、ニリンソウ、水芭蕉、などが咲き乱れる。 ここでのんびりと山菜採り、カッコウの泣き声、色々な小鳥が飛んでくる。水溜りにはオタマジャクシ、川には小魚の魚影。 |
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